テマリブログ

てまり窯の作業日報など

明日の記憶

「明日の記憶」という映画を観た。
若年性アルツハイマーという脳の病気の怖さを感じる。もし、この映画の主人公のように、自分の過去の記憶が、日に日に消えていってしまい、ついさっきのことすら記憶出来なくなってしまったとしたら、どれほどの恐怖を感じることだろう。自分が自分であることを認識できないということは、「死」と同じなのか。「死」は、なぜ怖いのか、何に執着しているのか。執着といえば、仏教。

仏教は、徹底的に「捨てる」ことを強調している。何事にも執着してはいけないと・・・。 
彼は、過去の記憶を強制的に捨てさせられているわけだ。思考する自分の拠り所である過去が消えていくということは、もしかしたら、思考からの開放、つまり「さとり」へ近づくことなのか。

さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる

さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる


この本では、思考する自分は、本当の自分ではなく、「大いなる存在」こそが、「人間の本質」であるとういう。また、「いま、この瞬間」に意識を集中させ、思考という雑音を消さなければ、大いなる存在と繋がることは出来ないという。

最後のシーンで、妻のことも分からなくなっていたけれど、あの時点で、彼は、何を感じていたのだろう? 思考や執着から開放されて、平和で、愛とよろこびに満ちた瞬間を生きていたのだろうか。それとも、ただの無意識状態に陥ってしまったのだろうか。

渡辺俊明絵付けの益子焼が出ていて、嬉しかった。
塚本製陶所の研究生時代に、渡辺俊明さんが、絵付けに来られていて、絵付けする素焼きを運んだり、ゴスや鉄を用意したりしたことを思い出す。声の大きな豪快な人だった。一度だけだったけど、研究生達との食事会もあった。懐かしい。